現在関西に帰省中のちょこきな子一家です。
お兄ちゃんは、おじいちゃんやおばあちゃんから色んなものをもらったり買ってもらったりでご機嫌。
学校の宿題、、どうした?
まあ、予想出来てはいましたが…
そんな中、ひいおばあちゃんの所に、赤ちゃんを連れて行きました。
ひいおばあちゃんは2年ほど前骨折し、一気に弱っちゃって。
で、退院した後家で過ごすことが出来ず、実家近くの高齢者住宅に入っているのです。
年の差…約1世紀。感動の出会い
というわけで、みんなでひいおばあちゃんの所へ。
ひいおばあちゃんは、1920年1月19日生まれ。大正9年生まれです。
現在98歳ですが、比較的まだしっかりしていてくれて、娘の来訪を喜んでくれました。
この写真はその時撮ったもの。
年の差約100歳が初めて出会った瞬間の写真です(^_-)-☆
娘も不思議そうにひいおばあちゃんを見つめて。
ひいおばあちゃんも嬉しそうに手を握ってくれて。
「力が強いなぁ。元気な子やなぁ」と喜んでくれました。
ひいおばあちゃんのベッドの脇には、ウチのお兄ちゃんが遊びに行ったときの写真(推定3歳)が飾られていたので、きっとその隣にこの写真が飾られることでしょう(^-^)
娘が物心ついて、お話を楽しめるようになるまで元気でいて欲しいものです。
再来年はひいおばあちゃんも100歳。何かお祝い考えなきゃですね~!
ひいおばあちゃんの人生
ここからは家族向けのメモになります(ごめんなさい)。
ひいおばあちゃんがどんな人生を歩んでいたのか、きちんと文章にして残したことがなかったな~と思って、ここで知ってることをメモしていきます。
興味のある方のみ、「そんな人もいたんだ~」くらいでご覧ください
大正9年1月19日生まれ
ひいおばあちゃんは、大正9年に生まれました。
家は地元の商店街みたいなところで、商いをしていたそうです。
大正9年というとどんな時代だったのか、調べてみたところ、
- 1月10日 国際連合が発足(ひいおばあちゃんが生まれる9日前!)
- 2月14日 第1回の箱根駅伝が開催される
- マツダ、スズキ、日立が相次いで設立される
- 5月2日 東京上野公園で、初のメーデーが開催
なんてことがありました。
第1次世界大戦が1918年までなので、戦後の日本ということですね。
戦争と日本引きあげ
その後、すくすくと育ったひいおばあちゃんは結婚します。
何歳の時かは…聞き忘れました。
大日本帝国はアジア圏に勢力を伸ばし続け、特に満州に大規模な移民をさせます。
ひいおばあちゃんとひいおじいちゃん(もう40年くらい前に亡くなっている)は、当時朝鮮半島に移り住んでいたそうです。
朝鮮の方々とはとても仲良くさせてもらっていた、と語ってくれました。
そして終戦の時、日本人が一気に日本に帰ろうとする時、引き上げ船へ向かう時も仲の良かった朝鮮の方が助けてくれたそうです。
おにぎりをもらったり、駅まで連れて行ってくれたり。
引きあげの混乱の最中、ひいおじいちゃんとはぐれてしまったそうですが、「はぐれても一人でも日本に帰る。あとで合流する」という約束をしていたそうで、とにかく日本に戻るということだけ考えていたそうです。
引きあげ船も人がいっぱいで、船着き場に行ったときは乗れない状態だったそうです。
しかし、同じように妻とはぐれてしまった人が「あんた、先に乗っとき。俺は妻を探すから」と言って譲ってくれたそうです。
今でもひいおばあちゃんは「あの時乗れなかったらどうなってたかわからんわ」と言ってます。
日本に戻ってきても、実家まで帰るのはとても大変だったそうです。
歴史で勉強した、積載人数を大きく超えて乗る列車…あれに乗って何とか戻ってきたと言います。
朝鮮を出てから実家に帰るまで、もちろん何日もかかりますし、その分の食事などは持っていません。
しかし当時の日本人の助け合いの心なのか、乗り合わせた人から余ったおにぎりをもらったり、お茶をもらったりして何とか食いつなぎ、実家まで戻ってきたんだとか。
あの勉強した歴史…その時代を生き抜いたんだな~と思うと、不思議な気持ちになりますね。
1男1女に恵まれて
ひいおじいちゃんも無事に戻ってきて、何とか合流を果たしたひいおばあちゃん。
その後の事はあまりちゃんと聞き取れていないのですが、田舎で暮らしていたそうです。
何をやっていたのかわかりませんが、今も残る田畑があるので、農業をしていたのだと思います。
でもそれできちんと収入を得られるほどの大きさじゃないんですよね…
私が子供の頃聞いた感じでは、元々たくさん土地を持っていて、地主的な地位だったとか??
でも戦後の農地改革でほとんどの土地を取られた、みたいな事を言っていたので、
細々とした収入はあったのかもしれません。
また、大都市からいろんな方が買い出しにやってきた、みたいな話も聞きました。
大きな庭では色んな作物を作っていたし、柿とかイチジクとかいろんな果樹もあったので、分けてあげていたという話も聞いたことがあります。
そうして、ひいばあちゃんは1男1女に恵まれました。
その女の子が、ちょこきな子パパのお母さんになるんですね。
ちょこきな子パパが子供の頃、ひいおばあちゃんの家に遊びに行き、蔵の中を探検するのが一番面白かったと言います。
ひ孫との出会い
さらに時は流れ、ちょこきな子パパがちょこきな子と結婚し、お兄ちゃんが生まれます。
お兄ちゃんが生まれた時も帰省し、ひいおばあちゃんといっぱい話をしました。
お兄ちゃんはひいおばあちゃんの事が大好きで、力がついた今、率先して車いすを押したりしてくれます。
そして今、再びひ孫が誕生。
約100年前に生まれたおばあちゃんが、新しい命の手を握る場面を見ることが出来ました。
2020年になったら、いよいよ100歳。
その時は娘も立ってることでしょう。
盛大にお祝いをしたいですね!!